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天野 尚  写真展「創造の原点」を見た感想

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先日、新潟市の雪梁舎美術館へ
天野尚さんの写真展を見に行ってきました

天野 尚  写真展 創造の原点
https://www.komeri.bit.or.jp/setsuryosha/event/2024/240527.html

 

構図やレイアウトの勉強を始めて
魅力的な写真、いい画ってなんだろう?と
迷子になっていたっ僕にとって
この写真展を見たおかげで
これでいいんだ!と気が楽になることができました

 

ここ半年くらい
「ランドスケープ水彩スケッチ」https://amzn.to/3WKqjwy
「Vision」https://amzn.to/4fP6HA4
という本を参考に
自分で撮った写真をトリミングしたり
参考にして5×7センチくらいの小さな絵を描く練習をしていたので

描いたときに良い絵になるかを考えて
・主役はあるか?
・描きたいのは何か?
・わかりやすいか?
・描きやすいか?

といった判断は
ファインダーを覗いた時点できるようになりましたが
こういった視点で合格する写真しか撮れなくなりました

「ただ自分が気になったものを撮る」
「記録として撮る」
といったことができなくなってしまったんです

良い画って何だろう?と
すっかり迷子になってしまっていたときに観たのが、この写真展です

今回の写真展の作品は
安定感・静謐・力強さを感じるシンプルな日の丸構図が多く
あっこれでいいんだ!と
悩みが吹き飛ぶような体験でした

下の図は写真展で見たものを
帰宅してから思い出しながら白黒で描いたものです


全ての写真が1辺1mを超える大きなプリントで
奇抜な構図のものはなく
ただ、そこにあるものを正面から撮ったというものばかりで
まさに撮影者と同じ場所に行って
同じものを見ているような感覚になったことが印象的でした

画面中央に主役がくる日の丸構図も奇抜な工夫などはなく
シンプルに画面中央に被写体があり
水平線が中央より少々上か下にずらしてあるくらいで、ほぼ中心
極端に上や下に偏っているものは見当たりません

目の前にあるものを
ありのままに表現しようとすると
構図を工夫する必要はなくなるんだろうなと思いました

 

正直、もうちょっと寄ってもいいんじゃないかな
余白の部分が余計に感じるなと
思ったものも何枚かありましたが
画面外の空間の広がりを表現するために
意識的に少々引き気味で余白を作っていたのかもしれません
(こんなことを考えることができるようになったのも
上記の2冊で学んだおかげです)

 

下の図の上の2枚はアマゾンかどこかだったと思いますが
左下は僕の家の比較的近所で何回か現地でスケッチした新潟県の福島潟
右下は新潟では珍しくもない田植え前の水田の夕暮れです

福島潟では1本の木を主役に描こうと思ったことはありませんし
水田に関しても、作品としてしっかり描こうと思ったことはありませんでした

天野さんは海外ばかりではなく
地元の新潟も撮り始めていたとのことでしたが
まさか自分も同じ場所で描いたことがあるとは
思ってもいませんでした

同じ場所で制作をしていながら
制作していたものが全く違うということに衝撃を受けました

僕は
「一番その場所らしい景色」と思う中から
「画面の収まりの良さ」「絵になりそう」なところを描くことが多く
「ここをこう描きたい!」と思うことはめったにありません

木を見て森を見ずと言いますが
僕は一番その森っぽく見える部分を無難に描くのに対して
天野さんは初めて行った森であっても
1本の木のみを撮りたいと思うことができる判断基準があるのでしょう

天野さんとは判断基準やストライクゾーンの広さが違うと感じました

 

僕はカメラや写真の技術や知識はありませんが
今回の天野さんの写真展の作品では
奇抜な構図やボケ、独特な切り取り方などをしていないので
正直、同じような写真はデジカメを使えば自分にも撮れるのではないかと思いました

しかし天野さんの写真は
ただ美しいと思った部分を撮ったというだけでなく
ありのままの姿を残したい、伝えたい、という意思を感じました

僕も「好きだから」「描きたいから」描くだけでなく
「誰のために」「何のために」といった部分をもっと考えて
「何を伝えるか」「どう伝えるか」という範囲まで踏み込む必要があるなと思いました